2008年11月23日日曜日

『平泉 ~みちのくの浄土~』展

 仙台市博物館で開催中の『平泉 ~みちのくの浄土~』展へ。
 
 
 今回の企画展では、仏像や経典など奥州藤原氏の仏教文化を堪能できる。中でも目玉は国宝の『薬師如来坐像』、『日光菩薩立像(左脇侍像)』、『月光菩薩立 像(右脇侍像)』三躯(何れも福島・勝常寺)や『阿弥陀如来坐像』をはじめとする『金色堂西北壇上諸仏』十一躯(岩手・中尊寺金色院)、『紺紙金字一切 経』などで、他にも重文の重美指定の作品を数多く見ることができる。気になったのは、廃仏毀釈の運動で傷つけられたものか、顔や手の無い仏像が何体かあっ たことだ。

 コーナーをどんどん進んでいくと、途中で思わぬ物が視界に飛び込んできた。なんと、田村麻呂将軍所用の大刀と伝えられる『黒漆剣(鞍馬寺蔵 重文)』の刀身である。残念ながら黒漆大刀拵はなかったが、切刃造りの直刀をまじまじと見ることができた。刀身はボロボロで痛々しいが、帽子が見てとれた のは嬉しかった。

 もうひとつ嬉しかったのは、企画展を後にしてから、一応常設展も覗いてみたのだが、こちらに刀剣類(刀掛一架、具足三領)が何点か展示されていた。

 ・脇指 奉献巨刀一腰 宮城郡仙䑓郭
     東照宮御寶前
     明暦元年四月十七日
 (ウラ)武州江城住人冨田大和守安定作之
     到當所仙䑓依奉寄進之弟子安幸安家助焉
     當所人山野加右衛門尉定兵之模様長短大小   56.6㎝ 附金梨地葵紋拵

 ・金梨地竹に雀九曜紋刀掛

 ・黒漆五枚胴具足(政宗公所用)
 ・黒漆鳩胸五枚胴具足(宗村公所用)
 ・黒漆五枚胴具足(綱村公所用)

 安定の大脇差は弟子の『安幸』『安家』との合作で、忠宗公が家康の命日に仙台東照宮へ奉納したもの。


 せっかく一関まで行っても、一関市博物館での見学で時間が無くなり、あとは帰宅というのが常だが、この次は平泉を訪れたいと思う。他にも岩手で行ってみたい所が沢山ある。
 今回は純粋に奥州平泉の宗教文化を見に来たのだが、思いがけず本物の黒漆剣を見ることができて本当によかった。

2008年11月15日土曜日

上山城から上杉神社へ

 Aさんに『刀匠 神林恒平展』のパンフレットを頂く。興味はあるが、果たして気軽に車で出かけられる所なのだろうか…?
 会場は山形の上山だそうで、上山といえば競馬場と温泉がパッと頭に浮かぶが、山形のどの辺かわからない。早速ネットで調べてみたところ、山形市の少し南で、距離にして大体90キロ位。大きな道を行けば然程難しくないようなので、行ってみることにする。

 朝10時に家を出発し、先ずは国包屋敷があった立町小学校前の仙台西道路から、愛子バイパス、作並街道と48号線を只管進む。空いても混んでもなく、ス ピードのあまり出ない道路状況で、紅葉を楽しみながらのんびりと行く。やがて開けてきたなと思ったらそこはOさんの故郷天童市。丁字路にぶつかった所で左 折し、13号線を南下する。そして簡単に上山市まで入ることが出来たのだが、上山城に到着するまでが大変だった。詳しい案内があまり無く、随分迷ってし まった。
 漸く『上山城』に到着し、先ずは近くにある月岡神社にお参りし、次に月岡公園から辺を眺める。
 上山城は4階建てで、1~3階が展示場、4階は展望台となっている。1階の第一展示場から始まり、エレベータで一気に4階の展望台へ。城から眺める上山 の風景を写真に撮りたかったが、カメラを持ってくるのを忘れてしまった。あとは階段を降りながら、3階の第二展示場、2階の第三展示場と上山の歴史を順に 追っていく。一階に戻り、最後は特別展示室の『刀匠 神林恒平展』である。今回の展示会は『山形県指定無形文化財保持者認定』を記念してのものらしい。先ずは氏の師匠である『宮入行平』の作品一口に始まり、 神林恒平氏の29口、計30口が三方と中央のショーケースに展示されていた。

・脇指 宮入行平作(裏)昭和五十二年八月日
・短刀 恒平彫同作(裏)平成十二年二月日
・刀 三省吾身上林恒平作(裏)昭和己未年春吉祥
・刀 以山形城古鉄長谷堂住人恒平作(裏)平成十年十一月吉日
・短刀 恒平作(裏)平成十八年三月日
・短刀 恒平作(裏)平成十一年五月日
・刀 長谷堂住人上林恒平作(裏)平成六戌年春吉日
・刀 長谷堂住人恒平作(裏)平成七年春吉日
・脇指 恒平彫同作(裏)平成十一年五月日
・脇指 恒平作(裏)平成十二年春
・刀 長谷堂住人恒平作(裏)平成十三年八月吉日
・刀 長谷堂住恒平作(裏)平成十七年八月日
・脇指 於霞城恒平作(裏)守護己諒平成十二年十一月廿二日
・短刀 備州長船住景光(棟)学景光恒平作(裏)元亨三年三月日
・刀 長谷堂住恒平作(裏)平成十八年三月日
・刀 長谷堂住恒平作(裏)平成十九年二月日
・太刀 長谷堂住恒平作(裏)平成廿戌子天六月十七吉日
・刀 長谷堂住人上林恒平作(裏)平成十九年八月日
・脇指 恒平彫同作(裏)應揚妻家需平成十六年三月日
・脇指 恒平彫同作(棟)平成十七年五月吉日(裏)(個人名)種徳百年計
・太刀 於長谷堂住恒巌作(裏)平成十七年三月日

・短刀 恒平作(裏)平成七年八月日
・短刀 恒平作(裏)平成七年八月日
・短刀 恒平作(裏)平成七年八月日
・短刀 恒平彫同作(裏)平成十二年月二日
・短刀 (個人名)恒平作(裏)仙寿之平成十二二年十月日
・短刀 長谷堂住恒平作(裏)平成十五年正月仙寿之
・短刀 恒平彫同作(裏)平成十六年月弥生吉日
・短刀
・短刀 守護(個人名)恒平作(裏)平成十八年三月日

 城を出ると、時間はまだ午後1時前。帰るには少し早いので、米沢の『上杉神社』へ行ってみることにする。上杉神社には上杉謙信公、二代景勝公、直江兼続 公、十代鷹山公ら縁の品々が収蔵、展示されている『稽照殿』がある。『直江兼続』といえば、来年のNHK大河ドラマ『天地人』の主人公である。
 13号線を南下し、米沢市内には入れたが、肝心の上杉神社に辿り着くのに難儀した。神社は観光客で賑わっており、七五三の親子連れも目立っていた。社殿にお参りし、辺を散策した後、『稽照殿』へ。

・革製金箔置烏帽子形兜(伝謙信公所用)
・禡祭の剣
・色々威腹巻(謙信公所用)
・紫糸威伊予札五枚胴具足(景勝公所用) 
・勝色威胴具足(謙信公所用)
・紫糸威五枚胴具足
・紫糸威二枚胴具足(鷹山公所用)
・金小札浅葱糸威二枚胴具足(直江兼続所用)

 『色々威腹巻』の兜の前立は飯縄明神像が飾られており、謙信公の飯縄権現信仰を窺わせる。『飯縄』は『飯綱』とも書くそうで、刀鍛冶に『綱』の字がみられるのは宗教的なものからだろうか。備前には『安縄』という鍛冶もいた。どうも刀鍛冶と狐は無縁ではないのかもしれない。『紫糸威伊予札五枚胴具足』の兜の前立には雲上の日輪が象られており、その黄金の中に『摩利支尊天』、『毘沙門天王』、『日天大勝金剛』の神名を鋲で留めてあるそうだ。

・長巻 無銘 伝片山一文字 95.7㎝ 4.5㎝
・太刀 國宗(附)戒杖刀 78.2㎝ 5.4㎝
・大太刀 無銘 伝元重 110.3㎝ 4.9㎝

 無銘の長巻『伝片山一文字』は鎬造、庵棟、板目肌、小丁字。無銘の大太刀『伝元重』は鎬造、庵棟、板目肌、直刃調、丁字乱れ。
 そういえば『刀匠 神林恒平展』に『短刀(備州長船住景光 元亨三年三月日)』の写しがあったが、本物は謙信公の所用で、現在は『埼玉県立歴史と民俗の博物館』にあるそうだ。表に『秩父大菩薩』、裏に観音を表す梵字が彫られており、『黒漆小さ刀』の外装が附く。個人蔵で『岡山県立博物館』に謙信・景勝公所用の『号 山鳥毛』の太刀が寄託されているらしく、どちらも機会があれば見てみたい。

 すぐ側にある『米沢市上杉博物館』にも寄りたかったが、帰りは仙台までの距離113キロ走らなければならないので、今回は諦めることにする。次回は米沢をメインに、特別展でも狙って来てみよう。

2008年11月1日土曜日

東北歴史博物館『塩竈・松島 その景観と信仰』

 塩竃神社博物館で頂戴したフライヤーで『東北歴史博物館』の特別展『塩竈・松島 その景観と信仰』のことを知る。
 詳しいことが知りたくなり、サイトを見てみると、展示資料項目の中に『伊達家歴代藩主奉納太刀ならびに糸巻拵』が有り、俄然気になりだす。必ず展示されているとは限らないが、他の展示物も見てみたいので、東北歴史博物館へ。

 会場に入ると、先ずは『塩竈・松島の景観』というコーナーで『不動三尊像(五大堂御前立仏)』が出迎える。『不動明王二童子像』ともいい、瑞巌寺の秘仏 だそうだ。不動明王立像が矜羯羅童子と制多迦童子を両脇に従えた三尊で、このスタイルが多いようだ。童子は不動明王の眷属で他にも6人が居り、不動八大童 子という。機会があれ見てみたいものだ。他には『木造神使白鹿像』、『木造狛犬像』、『軍旗 一宮塩竈大明神』、『鹽竈神社縁起追考』などの巻子、屏風、棟札が有り、その後に待ってましたの刀剣類が数口展示されていた。

・太刀 来國光
・太刀 包蔵
・太刀 (菊紋)一 永茂
・太刀 國次

・金梨地菊竹に雀紋蒔絵鞘糸巻太刀拵
・菊紋糸巻太刀拵
・菊紋糸巻太刀拵

 来国光はやはり、こちらへ貸出中だったようだ。雲生も展示資料として予定されているようなので、期間中に他の太刀も含めて入替があるかもしれない。
 七代藩主重村公が宝暦八年(1758)七月十日に太刀を奉納した際、鍛刀を担当したのは『永茂・国次・包蔵』の三家で、もしかするとこの時の三口が今回展示されているのかもしれない。照明が暗く、刃文が確認出来る程度で、鍛えを見ることは出来なかった。
 『金梨地菊竹に雀紋蒔絵鞘糸巻太刀拵』は来国光の拵で、伊達家の家紋『竹に雀紋』と菊紋をあしらっている。『菊紋糸巻太刀拵』は見なれた金梨地に紺色の糸と、もう一口は黄金色ではなく赤の金梨地に萌葱色の糸。


 この後も古文書、絵画、板碑、能面、陶磁器など様々な展示資料が続き、古の塩釜・松島を堪能することが出来た。会場(特別展示室)を後にすると、すぐ向 かいに総合展示室というのがあるので入ってみる。どうやら、仙台市博物館でいう常設展のようなものらしい。東北地方の歴史を時代ごとに区切り、展示資料と ともに追って行く。
 そんな中、蝦夷平定の頃に使われいた武器類が特集されたコーナーがあった。坂上田村麻呂が佩用したとされる『黒漆剣(鞍馬寺蔵 重文)』、『蕨手刀(二戸市堀野遺跡)』『方頭大刀』、『圭頭大刀の柄頭』など何れも複製品であるが、これらを見ていると直刀から湾刀へ移行について考え ずにはいられない。
 日本刀が何時、何処で、誰によって完成されたかは未だはっきりわかっていない。私は奥州鍛冶が重要な鍵を握っているのは間違いないと思っている。蝦夷の 蕨手刀を除いては『直刀』が一般的だったのが、蝦夷平定後100年以上経ってから『毛抜形太刀』が現れてくる。蝦夷の鍛冶が俘囚として他の地域に移ってい き、彼らの技術が伝播していったのではないだろうか。
 おっと今度は久し振りに一関へ行きたくなってきた。