2012年6月17日日曜日

『大震災から救われた伝家の宝刀展』~『早坂信正 現代刀展』

 本日は中鉢美術館へ『大震災から救われた伝家の宝刀展』を見に行く。

 ゴールデンウィークに中鉢美術館へお邪魔したとき、被災された方などから中鉢さんが託された刀を展示するという企画展を開くと伺っていた。企画展は月末の 27日からスタートだそうで、初日から見に行きたい気持ちもあったが、廿日には総会もあるし、月が変わってから見学することにした。


 美術館に入ると受付にいらしたのは奥様で、中鉢さんは不在だという。展示刀や寄贈者について色々お伺いしたかったので誠に残念だ。それにしても、主がいないと随分物寂しいものだ。


・太刀 (底銘)舞草
・太刀 □安
・小太刀 國平
・太刀 閉寂
・太刀 長光
・刀 月山
・刀 月山

・太刀 寶壽
・太刀 寶壽
・太刀 寶壽
・太刀 無銘(伝諷誦)
・太刀 近村上
・太刀 國□(五条國永)

・太刀 包平
・太刀 次忠
・短刀 國吉
・刀 無銘(豊後正宗)
・太刀 豊後國行平作(紀州徳川家伝来)
・脇指 波平行安 元弘三年八月日
・脇指 長吉
・脇指 村正
・脇指 (村正)
・刀 上林恒平作
・刀 山城大掾藤原國包
・刀 法華三郎信房 (八代)

・太刀 寶壽
・短刀 寶壽
・短刀 以奥州餅鉄 相州國住靖要作

被災刀剣
・薙刀 兼元
・太刀 舞草
・刀 豊後住藤原實行
・脇指 陸奥會津住道長
・刀 備州(以下切)
・短刀 備州長船守光
・短刀 宮入行平作


 事前に「凄いのが入ってくる」といくつかの作品が追加されることを予告されていたが、その内の二つは国吉と行平だったのだ。この二人の作品が宮城県外に 出ずとも見られるのは大変有り難いことだ。中鉢美術館に来れば、名刀を見られるのが当たり前のように思いがちだが、その機会を与えて下さっている中鉢さん に感謝せねばならない。楽しみにしていた「あの刀」は今回お目にかかれなかったが、次回かその次のお楽しみである。
 行平は僧定秀の子と伝え、紀新太夫行平ともいい、御番鍛冶として有名。「一説に下野日光へ配流の時は銘有風、方土、日本一又桜花を切る、承元頃。(刀工総覧)」
「この作は昔から珍重されたものらしく、原著『観智院銘尽』に当時すでに偽物があることを記述している。(略)地鉄は板目よく錬れて軟らかく感じられ、綺 麗であり、刃文は直刃小沸つき小沸足も入り、匂口うるみ、刃中初霜のごとく白い。帽子丸くあるいは焼きつめて小沸つく。すべての太刀、短刀ともに鎺元上に 焼落しがある。また、経眼したものの大部分に、腰に櫃の内に倶利伽羅、不動明王、地蔵、松喰鶴などの古雅な浮彫がある。銘はこの時代の刀工の多くが太刀銘 に切るが、行平はほとんど刀銘に切っている。上記のごとく古来偽銘が多く正真のものは字がむしろ下手であると伝えている。(日本刀講座3古刀鑑定編 (中)P340,343)」
 粟田口の国吉はエピソードが殆ど無い。
「建長ごろ。則国の子。藤原姓で、左兵衛尉と称した。太刀はきわめて少なく、短刀が多く、まれに寸延びの平造がある。短刀は筍反が多く、無反もある。刃文 は直刃が多く、帽子は小丸に反り、沸・匂は深く、足入り、まま二重刃がある。鍛は小板目が多く地沸が厚く、茎は棟が角、鑢は横、先は栗尻で、銘は「国吉」 と二字に打つものが多く、まま「左兵衛尉藤原国吉」と長銘に打ったものもある(日本刀講座2古刀鑑定編(上)P41)」
 上林恒平は以前、上山城で作品展を見たことがあったが、そういえばあの時も師匠の宮入行平の短刀が展示されていた。

 企画展のメインである『被災刀剣』は赤錆の薙刀と、海水を被ったと思われる『実行』と『道長』の状態が特に酷い。鑑賞会で実際に触れることのできた『舞 草』が展示されており、あの時のズッシリとした重みが思い浮かんだ。次回は是非、中鉢さんに被災刀の詳細をお聞きしたい。

 そろそろ帰ろうかと奥様にご挨拶したところ、お茶を一杯くらいどうですかと仰って下さった。一瞬お断りしようかとも思ったが、折角のご厚意なのでお言葉に甘えさせて頂くことにした。奥様のミルクティ、大変美味しゅう御座いました。
 話の最中、帰り道にあるから寄ってみてはどうですかと、早坂さんの企画展のチラシを頂いた。場所は457号線沿いにあるらしい。今日は明るいうちに帰宅しようと思っていたが、まだ時間に余裕があるので帰りがてらのぞいてみることにした。


 場所は『色麻町農業伝習館資料展示室』。国道から脇にそれ、小さい山をのぼっていったところにあった。




・刀 早坂信正作(ウラ)平成二十一年二月日
・短刀 早坂信正(ウラ)平成二十二年二月日吉春
・脇指 早坂信正
・刀 船形山麓 早坂信正(ウラ)平成七年八月日 野州ニ眠ル以古鉄造之
・脇指 早坂信正(ウラ)平成七年八月日 野州ニ眠ル以古鉄造之
・脇指 早坂信正(ウラ)平成十年二月日
・刀 船形山麓色麻住 早坂信正(ウラ)平成十三年二月日
・刀 信正(ウラ)平成六年二月日
・脇指 信正(ウラ)平成三年八月日
・刀 早坂信正(ウラ)平成十年八月日
・太刀 早坂信正

・刀 色麻住信正(ウラ)平成五年八月日
・短刀 信正(ウラ)平成七年八月日
・刀 船形山麓 早坂信正(ウラ)平成八年二月日

・短刀 早坂信正(ウラ)平成十七年八月日
・剣 早坂信正(ウラ)平成十一年二月日
・太刀 信正(ウラ)平成六年二月日
・短刀 信正(ウラ)平成十三年八月日
・短刀 信正作(ウラ)平成二十年五月五日


 残念ながら照明が悪く、まるでステンレス製品を眺めているようだった。その中でぼんやりとだが、唯一地鉄を確認できたのは山城伝の太刀『信正(ウラ)平 成六年二月日』で、たまたま好みの鍛だった。この太刀は以前にも切込焼記念館で見たことがあり、『豊後国行平作(古今伝授行平)の写し』とあったことを思 い出した。そういえば先ほど、行平を中鉢美術館で行平を見てきたばかりだ。
 この展示会は6月24日(午前9時半から午後5時まで)まで開催されている。

2012年1月3日火曜日

『明日への煌めき - 宮城の刀匠 四人展 -』

 新年を迎え、今年も志波彦神社と塩竃神社へ初詣に行く。

 去年の震災で神社は大きな被害を免れたようだが、博物館は閉館状態がしばらく続いていた。震災後に何度か神社を訪れたが、いつ行っても博物館は休館したま まで、一向に再開する兆しが見られない。一体いつになったら再開されるのかと待ちわびていたが、サイトでアナウンスされることもなく、半年以上が過ぎて いった。例年なら、正月は新春特別展が催されているのだが、営業しているかどうかも怪しい。


 あと二月ほどで震災から一年が経とうとしている。震災直後に仙塩街道を何も知らずに走ったときは、まるで戦場かと見紛うばかりの有様だったが、今はかな り元の風景に戻りつつある。それでも被災者にしかわからない爪痕はそこかしこに残されているのだろう。泥だらけの道路や車両、瓦礫、そして憔悴しきった人 達。あの時の様子は今でも忘れることができない。

 塩釜駅を過ぎた先の下り坂から渋滞していたが、例年ほどでは無いような気がする。震災や不況の影響だろうか。運良く第一駐車場に駐めることができた。
 気になってしょうがないので、参拝前に博物館へ行ってみると、嬉しいことに博物館が営業されていた。これで安心してお詣りができる。




 お詣りを済ませ、いよいよ博物館へ。博物館が再開されているだけでも嬉しかったが、恒例の新春特別展も開催されているようだ。入場料はわずか100円で、高校生以下は無料だそうだ。
 今年は『明日への煌めき - 宮城の刀匠 四人展 -』と銘打った、宮城の現代刀匠四人の企画展らしい。宮城昭守氏の作品は『白石城歴史探訪ミュージアム』で見たことがあるが、典真氏のものは未見である。 そいえば、ローカル番組で白石市の日本刀鍛錬所が紹介されたときに、お二人が出演されていた。早坂信正氏は以前、『切込焼記念館』での個展を見る機会が あったが、他では見たことがない。


・短刀 昭守(ウラ)贈青木家重代娘求利郎 平成十一年八月日
・短刀 昭守作(ウラ)平成二十一年八月日
・短刀 典真作(ウラ)平成八年二月日
・短刀 白石住典真(ウラ)為大樹祖父卓 平成九年二月日
・短刀 法華三郎信房(ウラ)平成拾寅年二月日
・短刀 信正作(ウラ)平成二十年五月五日
・短刀 信正作(ウラ)平成二十二年吉春
・短刀 悠貴 典真作(ウラ)平成十九年九月二十日
・脇指 白石住典真(ウラ)平成廿一年八月日

・太刀 宮城昭守作之(ウラ)平成七年五月日
・刀 法華三郎信房(ウラ)平成寿寿龍集戊子年二月日
・刀 早坂信正作(ウラ)平成二十一年二月日
・太刀 宮城典真作(ウラ)平成二十一年八月吉日
・太刀 宮城昭守作之(ウラ)平成六年二月吉日
・脇指 早坂信正(ウラ)平成十年二月日
・太刀 法華三郎信房(ウラ)平成寿禄甲申年二月日
・刀 還暦記念 宮城典真作(ウラ)平成二十三年二月一日
・刀 法華三郎信房(ウラ)平成寿戊寅年八月日
・脇指 法華三郎信房(ウラ)平成寿戊寅年八月日
・脇指 色麻住信正(ウラ)御神刀
・脇指 宮城昭守作之(ウラ)贈青木家重代家督求利郎 平成十三年二月日
・太刀 白石住典真(ウラ)平成十年三月日
・横刀 法華三郎信房 昭和甲子文化ノ日(ウラ)伊勢神宮御神宝御太刀 影打
・太刀 白石住宮城典真作(ウラ)平成十八年三月日
・太刀 宮城昭守作之(ウラ)平成二年二月日 還暦記念 日本美術刀剣保存協会いわき支部長鈴木喬二
・太刀 法華三郎信房(ウラ)平成癸酉年春
・脇指 法華三郎信房(ウラ)平成癸酉二月日

・太刀 奉納宮城昭守典真謹作(ウラ)平成二十三年六月十一日
・太刀 奉納九拝 法華三郎信房(花押)(ウラ)宮城県知事山本壮一郎打之
・刀 奉納九拝 法華三郎信次(ウラ)昭和四十九年二月日押木塩竃宮司打之
・刀 昭和六十一年吉春

・太刀 来國光


 以下、博物館内の紹介パネルより。
 「宮城昭守(みやぎあきもり) 本名・宮城真一。宮城県白石市の刀匠・宮城守国の嫡子として大正十四年に生まれる。昭和十五年、栗原昭秀に入門し日本刀 鍛錬伝習所において作刀を学ぶ。日本刀展覧会金賞、陸軍軍刀展覧会会長賞など高い評価を得る。戦後、やむ無く作刀を中断するも、昭和四十五年に作刀承認を 受けて製作を再開、以後コンクール等において入賞・入選多数。日本刀鍛錬技術保持者として、昭和五十八年に白石市無形文化財、平成十六年に宮城県無形文化 財の指定を受ける。白石市在住。」

 「法華三郎信房(ほっけさぶろうのぶふさ) 本名・高橋大喜。八代目・法華三郎信房(本名・高橋昇)の嫡子として昭和十四年に松山町に生まれる。父につ いて作刀を学び、昭和四十一年に作刀承認を受ける。以後、信次と銘して作刀し、コンクール等において入賞・入選を重ねる。平成十四年、九代目・法華三郎信 房を襲名。八代信房が復元した大和伝保昌派の作風を継承するとともに、さらなる追求を続けている。」

 「早坂信正(はやさかのぶまさ) 本名・早坂政義。昭和三十三年生まれ。昭和五十一年に八代目・法華三郎信房に入門して作刀を学び、昭和五十九年に作刀承認を受ける。昭和六十二年に独立、以後コンクール等において受賞・入選多数。加美郡色麻町在住。」

 「宮城典真(みやぎのりざね) 本名・宮城正年。昭和三十五年、刀匠・宮城昭守の嫡男として白石市に生まれる。昭和五十五年より父について作刀を修行し、昭和六十年に作刀承認を受ける。以後コンクール等において受賞・入選多数。白石市在住。」


 宮城親子も上手だが、早坂さんの板目と杢目混じりの作風が一番好みだった。それにしても、縦置きの短刀は見づらい…。
 「色麻住信正 御神刀」は南三陸町の戸倉神社に奉納された脇指なのだが、東日本大震災の際に神社が津波に流されこの奉納刀も流失してしまったという。幸い発見されたが拵 は泥と砂にまみれ、残念ながら刀身も錆に覆われていたそうだ。それを作者の早坂さんが錆を取り除いた状態で現在博物館に特別に展示されている。初めて見た 時はなんだかノッペリとした印象だったが、そんな悲しい事情があったのだ…。
 そのお隣の『法華三郎信房 昭和甲子文化ノ日 伊勢神宮御神宝御太刀 影打』は珍しいことに横刀で、大船渡三陸町『天照御祖神社』へ伊勢神宮式年遷宮の際に宝刀として鉾と共に製作されたそうだ。『影打』とは、「実際に神宮御 神宝として納められた作品に対して同時に製作された作品のことを指しています。」だそうだ。数振打った中で特に出来の良いものを選んで奉納刀とし、残りの ことを『影打』というのだろう。
 『奉納宮城昭守典真謹作 平成二十三年六月十一日』は塩竃神社の式年遷宮を記念して製作されたものだが、被災地復興への強い願いも込めて神前に捧げられたという。
 現代刀匠の目指すものがこの一口の中に凝縮されているとし、また「新しい年が「来」たりて、私たちの「国」が輝かしく「光」ように願って」との祈りも含め、最後は来国光で締め括られていた。


東参道方面


志波彦神社

塩釜湾の空。なんだか雲が刃中の働きのように見える。


 今回のテーマを知ったとき、正直「現代刀か…」と少々期待外れの感もあったが、実際に作品を見て色々考えさせられた。未曾有の天災に見舞われて様々な困 難に喘いでいるこんな時世だからこそ、『今を生きる』そして地元宮城の現代刀匠の作が展示されていることに大きな意義があるように感じられた。地元の刀匠 の作品を見る機会はあまり多くはないので、こういう場がもっと増えればと思う。未来へ向かって一歩一歩進んでいくわけだが、先人達の遺物から色々なことを 学び、そして大切に守っていかねばならない。
 ニュースでしか見たことがないが、機会があれば一度『打ち初め』を見学してみたいものだ。