2011年1月3日月曜日

『奉納太刀のかがやき - 藩主奉納太刀文化財指定三〇年 - 』

 今年の塩竈神社博物館の新春特別展は、『奉納太刀のかがやき - 藩主奉納太刀文化財指定三〇年 - 』だそうである。

例年なら初詣は三が日を避けるのだが、今年は気紛れで正月の三日に参拝へ出かける。今年の新春特別展は、奉納太刀の特集のようで楽しみである。
   しかし、やはり混んでいた。途中まで順調だったが、3号線と35号線の交差点手前から急に混み出し、遅々として進まない。何度も引き返そうと思ったが、時 間が半端で他に行ける所もない。渋滞にウンザリしていると、パトカーがアナウンスを始めた。どうやら駐車場まで、一時間待ちらしい。駐禁解除区域が設けら れているそうなので、そこに車を停める。神社まで坂道を歩くことになったが、然したる苦ではない。




  今回圧巻だったのは、一階の展示物の殆ど全てが太刀と拵だったことだ。なんと、現存する藩主奉納太刀三十五口全てが展示されている。以前から現存する奉納 太刀と拵を一通り見てみたいと思ったことがあったが、まさか本当に、それもこれ程早く実現するとは夢にも思わなかった。

・太刀 安倫
・太刀 家定
・太刀 重次
・太刀 家定
・太刀 包蔵
・太刀 安倫
・太刀 重勝
・太刀 家定
・太刀 来國光
・太刀 兼次
・太刀 源兼次
・太刀 包蔵
・太刀 包吉
・太刀 家定
・太刀 包蔵
・太刀 安倫
・太刀 兼次
・太刀 安倫
・太刀 永茂造
・太刀 兼次
・太刀 藤原國包
・太刀 騰雲子包光
・太刀 包倫作
・太刀 安倫
・太刀 騰雲子包光
・太刀 永茂
・太刀 田代秀太郎長俊(ウラ)文政十三年二月日
・太刀 藤原國包作
・太刀 (菊紋)一 永茂
・太刀 包蔵
・太刀 國次
・太刀 兼次
・太刀 國包(ウラ)天保十三歳八月日
・太刀 田代秀太郎藤原長俊造之(ウラ)天保十三年八月日
・太刀 國次(ウラ)天保十三年八月吉日

・別当法蓮寺記(安永三年頃)
・一宮秘蔵記(宝暦八年頃)
・鹽竈社寶物記(文久二年)
・一宮御寶庫御寶物録(安政四年)


  『一宮御宝庫御宝物録』の解説によると、寛政四年と文政十二年に宝蔵が盗難にあったという。現存しない『家定』、『包吉』、『安倫』、『国次』の四口は、 この何れかの時に盗まれたのだろうか。刀身が失われて残った糸巻太刀拵が、三口展示されていた。いつもなら拵だけでも何も気にせず見入るのだが、事情を知 ると複雑だ。

 メモをとりながら見学していると、隣にいた女性に「お好きなんですか?」と声をかけられる。突然のことに、「あ、はい…」 としか答えられなかった。気味悪がったのか気を使ったのかわからないが、会話はたったそれだけで終了。時間が迫っていてゆっくり話をしてる余裕はなかった ので、手短に終わって良かったのかもしれないが、なんだか居た堪れない気持ちになってしまった…。

 今回は時間があまりなく、思うように見学できなかったのが悔やまれる。期間中にまた来られればよいのだが。




 『別当法蓮寺記』と『鹽竃社寶物記』には、奉納太刀の目録が記載されている。

 別当法蓮寺記
    御太刀之部
一 御太刀
 一 左宮安倫
 一 右宮家定
 一 別宮家定
   但御拵、一宇金襴袋入、結緒共ニ白鞘有、桐白筥入、結緒有、各三箱ニ入。
   右ハ 吉村君御家督御相續ニ付元祿十六年九月廿六日御奉納
       左宮家定
 一 御太刀 右宮包蔵
       別宮家次
   但御拵、一宇金襴袋入、結緒共ニ白鞘有、桐白筥各三箱入、結緒有。
   右ハ 吉村君御入部以後、始而御参詣被遊候ニ付、寶永元年七月十日御奉納。
       左宮安倫
 一 御太刀 右宮家定
       別宮家定
   但御拵、右同斷、白鞘袋結緒等、一宇右同。寶永元年九月十日、右ハ御造替
    御遷宮ニ付 吉村君御参詣御奉納。
       左宮重勝
 一 御太刀 右宮包吉
       別宮安倫
    但御拵各三筥ニ入、内外共ニ右同斷
    右同斷ニ付、同年同月從 前太守綱村君御奉納。
       左宮包吉
 一 御太刀 右宮包蔵
       別宮兼次
    但御拵一宇箱之内外共ニ右同 各三筥ニ入、内外共ニ右同斷
    右ハ 宗吉君御家督御相續ニ付、寛保三年九月二日御奉納。
       左宮兼次
 一 御太刀 右宮包蔵
       別宮家定
    但御拵等、筥入迄前々 吉村君御奉納被遊候通。
    宗村君御入部始而被遊候上、延享元年七月十日御奉納。
       左宮兼次
 一 御太刀 右宮兼次
       別宮安倫
    但御拵、筥入 吉村君御奉納之通。
    右ハ 重村君御家督御相續ニ付、寶暦七年七月朔日御奉納。
       左宮永茂
 一 御太刀 右宮兼次
       別宮安倫
    但御拵等、前々御奉納之通。
    右ハ 重村君御入部以後、始而御参詣、寶暦八年七月十日被遊奉納候事。
    右御太刀三振ハ毎年七月大祭禮ニ御用立申候
    但七月大祭禮ニ付御用立申候、右御太刀ハ 御當代様ヨリ御奉納被遊候内、
    新ヲ御用立、古ヲ指置申候舊例之事。


 『鹽竃社寶物記』
  一宮鹽竃社御寶庫御寶物記
    第壹番
       別宮家定
 一 御太刀 左宮安倫
       右宮家定
    但御拵一宇金襴袋入結緒共白鞘有桐之白箱各三箱ニ入右者 吉村君御家督御相續ニ付元祿拾六年九月廿六日御奉納也
       別宮重次
 一 御太刀 左宮家定
       右宮包蔵
    但御拵金襴袋入結緒共白鞘有桐之白箱各三箱ニ入結緒有右者 吉村君御入部以後始而御参詣ニ付寶永元年七月十日御奉納
       別宮家定
 一 御太刀 左宮安倫
       右宮家定
    但御拵右同斷白鞘結緒共一宇右同斷寶永元年九月十日右者御造替御遷宮ニ付 吉村君御参詣御奉納
       別宮安倫
 一 御太刀 左宮包吉
       右宮重勝
    但御拵各三箱ニ入内外共ニ右同斷 右同斷ニ付同年同月從 前太守綱村君御奉納
       別宮兼次
 一 御太刀 左宮包吉
       右宮包蔵
    但御拵一宇箱之内外右同斷右者 宗吉君御家督御相續ニ付寛保三年九月二日御奉納

    第二番
       別宮家定
 一 御太刀 左宮兼次
       右宮包蔵
    但御拵箱入迄前年 吉村君御奉納之通右者 重村君御家督御相續ニ付、寶暦七年七月朔日御奉納

    第三番
       別宮國包 白鞘無之
 一 御太刀 左宮包倫
       右宮包光
    但御拵一宇白鞘袋入金襴結緒共右者文化十一年八月十一日 齊宗君始御参詣之節 御奉納也
       別宮安倫 身柄關金兩方共無之
 一 御太刀 左宮包倫 袋紐ノミニテ身無之
       右宮包光 袋坐金關金壹ツ無之
    但御拵一宇白鞘袋入金襴結緒共右者 齊宗君御家督御相續ニ付、文化九年三月十三日御奉納也、桐之白箱ニ入結緒在各三箱ニ入
       別宮
 一 御太刀 左宮
       右宮 作者脱落
    但御拵等前年御奉納之通右者 太守齊義君御入部以後初御参詣之節御奉納、文政三年七月十九日
    右御太刀者毎年七月大祭禮ニ御用以下文意不詳御當代御奉納之物納古用新
       別宮安倫
 一 御太刀 左宮包光
       右宮永茂
    但御拵同前文政三年七月十九日 齊義君御奉納内外前年之通 按恐愆尤
       別宮國包
 一 御太刀 左宮長俊
       右宮兼次
    但御拵一宇前年之通文政十二年二月廿六日 齊邦君御奉納

  『別当法蓮寺記』と『鹽竃社寶物記』を見比べてみると幾つかの相違がある。宝永元年の別宮が『別当~』は家次なのに対し、『鹽竃~』は重次。『別当~』の 延暦元年の三口が『鹽竃~』では宝暦七年となっている。そして、『別当~』の宝暦七年の三口が『鹽竃~』には見あたらない。鹽竃神社博物館配布の資料と見 比べてみると、「宝永元年の別宮」は重次が正解で、『別当~』の家次は誤り。『鹽竃~』の宝暦七年は延暦元年の誤り。宝暦七年は『別当~』のが正しく、 『鹽竃~』の方が抜けている。