2008年12月21日日曜日

今のうち『瑞巌寺』

 『瑞巌寺』は10年に及ぶ本堂の改修工事が予定されており、そうなると長期間見学できなくなるので、今のうちとばかりに訪問。

 『瑞巌寺』は本堂の改修工事が行われる予定で、工期は10年ほどかかるようだ。本堂を見学できなくなってしまうが、瑞巌寺の前身である円福寺の建物遺構の発掘調査計画や、近い将来やってくる大地震に備えるためであるならば仕方ない。
 ということで工事が始まる前に、今年集中的に回った刀剣・歴史見学の旅の締めくくりとして瑞巌寺へ。

 何はさて置き、先ず本堂へ。




 端から順にと思い『松の間』を見ていると、思いがけず守衛さんに声をかけられた。何でも離れの間で、和尚さんの法話が聞けるという。あまり乗り気ではな かったが、そこは普段、一般人は立ち入ることの出来ない場所だそうで、つい食いついてしまう。案内されて回廊を進み、『大書院』に通される。襖を開け部屋 に入ると三十人程の聴衆を前に既にお話の最中だった。和尚さんに「どうぞ前の方へおいで下さい」と云われ、そそくさと空いている場所へ見つけて正座する。 膝行で進もうとも思ったが、止めることにした。
 途中からではあったが、2~30分ほど拝聴できただろうか。禅問答の小難しい話なのかと思ったが、誰にでもわかる易しい内容で分かりやすく、自分の中で あれこれ考えを巡らせながら聞くことができた。特に「人に答えを求めるな、自分の中に答えはある」という言葉が印象的で、思い当たる節がいくつもあった。 反省…。後でわかったのだが、和尚の名は『梅澤徹玄』師といい、臨済宗妙心寺派布教師で、黒川にある『臨済宗妙心寺派禅興寺』の住職なのだそうだ。

 また『鷹の間(武士の控室)』から見学に戻る。その隣はメインである『室中孔雀の間』で本尊『観世音菩薩』、歴代伊達藩主の位牌、『開山法身性西和尚像』が安置されている。次は『文王の間(伊達家親王の詰所)』で、左手に下ると『御成玄関』、


ここを政宗公が出入りしたわけだ



右手に進むと『上々段の間』、『上段の間(藩主の部屋)』、『仏間』、『羅漢の間』、『墨絵の間(住持の控室)』、『菊の間(御典医の控室)』と続き最初の『松の間』に戻り、本堂を一周したことになる。

 さて、続いては瑞巌寺を訪れたもう一つの目的である宝物館。

 ・脇指  奉献巨刀一腰奥州宮城郡仙䑓城下
     前州主黄門貞山利公御廟前
       明暦元年乙未五月廿四日
  (裏)  武州江城住人冨田大和守安定
     到當所仙䑓作之以奉寄進之弟子安次安倫助之
       當所人山野加右衛門尉定兵之模様長短大小
  (棟)切物奥州仙䑓住 家定作

 刀剣類に関しては『安定』の大脇指で一口のみで、これは忠宗公が政宗公の二十回忌の際、東照宮に奉納するため江戸から安定を招聘し仙台で作刀させたとい う。その他にも有名な『伊達政宗公甲冑倚像』や『円空』の仏像、『不動明王立像および二童子立像』など様々な品が展示されていた。 

 瑞巌寺を後にすると、空は雲行きが怪しくなっており、車に戻る途中雨に振られてしまった。


 
 次に瑞巌寺に訪れるとき、はたして自分はどう変わっているのだろうか。もしかすると、その答えは既に自分の中にあるのかもしれない。変わるも変わらぬも、己次第。