2011年4月30日土曜日

日本刀の源流『中鉢美術館』

 今日は岩出山にある『中鉢美術館』へ行ってみる。


  大型連休前に、ネットで偶然『中鉢美術館』を見つけた。刀剣、それも奥州刀に重きを置いているようで、宮城県内にあるらしい。これまでその名を全く聞いた ことがなかったが、いつ頃からあるのだろうか。場所は岩出山で、先日の震災で被害を受けた有備館の近くらしい。はじめは一関の序でに行ってみようかとも 思ったが、一関市博物館と観音山のセットで半日ほどかかる。それに初めて行く場所を加えるのは厳しいと考え、それぞれ別の日に行くことにした。かわりに鳴 子の三条山を組み合わせることにする。

 連休スタート当日まで、岩出山・鳴子方面と一関のどちらを先にするか決めかねていたが、午前中が不意の用事で潰れてしまったため、初日は午後からでも十分間に合いそうな『中鉢美術館』を選ぶことにした。
 震災の影響なのか、県外ナンバーが殆ど見当たらず、交通量もいつもの週末と変わらない。生憎の天気で小雨がぱらついていたが、渋滞も無くのんびりと行くことが出来た。大衡村の分岐点で左側の羽後街道へ進む。
 目的地の中鉢美術館は有備館駅のすぐ傍にあった。道路を挟んで向かい側には有備館と大きな公園があり、とても見晴らしがいい。

 入り口正面のフロントで料金を払おうとしたところ、券売機での購入を促された。入場券を渡してパンフレットと展示目録を受け取っていると、奥から男性が 現れ、私を一瞥してフロントから出てきた。フロントの左手には部屋が二つあり、男性はメインと思われる右奥の展示室へ消えていった。会計を済ませ、入り口 側のもう一つの展示室へ入ると、そこには数多くの具足が展示されていた。隣の部屋には先客がいるらしく、先ほどの男性との話し声が聞こえてくる。早く刀が 見たかったので、甲冑の見学もそこそこに隣の部屋へ移動することにした。 
 室内に入ると、先ず右手に佐藤矩康先生御夫妻や日本刀のルーツについてのパネルがあり、この部屋の導入部となっている。そして残る三方と中央のショウケースに、数多くの刀が展示されている。


・太刀 (底銘)舞草
・太刀 □安
・小太刀 國平
・太刀 閉寂
・太刀 長光
・刀 月山
・刀 月山
・太刀 寶壽
・太刀 寶壽
・太刀 寶壽
・太刀 無銘(伝諷誦)
・太刀 近村上
・太刀 宗吉
・脇指 波平行安 元弘三年八月日
・太刀 行平
・太刀 行利
・刀 奥州仙䑓住安倫 武州江城住大和守安定(ウラ)仙䑓住人山野加右衛門永久監之
・刀 山城大掾藤原國包
・刀 法華三郎信房 (八代)
・太刀 法華三郎信房 (九代)

・太刀 寶壽
・短刀 寶壽
・短刀 以奥州餅鉄 相州國住靖要作


 「日本刀の源流」と銘打つだけあって、奥州刀を中心に質・量共に素晴らしい展示内容である。舞草系三口、月山系三口、玉造系五口、その他俘囚として移住 した者や、奥州鍛冶の影響を受けた系統の作など七口と、価値のある古刀が惜しげもなく展示されている。中でも『閉寂』は在銘最古の奥州刀なのだそうだ。玉 造系というのは馴染みの薄い呼称だが、宝寿はこの系統だという。奥州の古鍛冶といえば舞草と月山のイメージだが、我がルーツの一つ玉造にも鍛冶集団があっ たというのは嬉しいことだ。三条山もこれに関係するのだろうか。
 新刀は国包と安倫、現代刀は法華三郎信房がそれぞれ代表として展示されていた。因みに国包と八代目の法華三郎信房は同じケースの中に展示されており、こ れは法華三郎信房が国包を写したものを、オリジナルと見比べられるようにとの演出だそうだ。素人目には一目で違いが判らない見事な出来だ。それにしても、 初代国包がこの展示室内では随分大人しく見えてしまう。

 その他、紀元前の青銅剣、奈良時代の直刀・刀子・倒卵形鐔など刀剣史上貴重な品が展示されており、何れもレプリカではない。中でも感動したのは平安中期 以前の上古刀である。以前から毛抜形太刀や古太刀といった、在銘太刀以前の進化の過程を見てみたいと常々思っていたが、今日ついにそれが叶った。今まで上 古刀を見る機会は何度かあったが、何れも直刀ばかりであった。しかし、目の前にあるのは日本刀完成以前の湾刀である。こういった蕨手刀から鎬造の湾刀の中 間がすっぽり抜けて、刀剣のミッシングリンクとなっていたらと考えると恐ろしくなる。

 一通り見終わり、次はじっくり見て回ろうと二巡目を始めたところ、美術館の男性が「刀はお好きですか?」と声をかけてきた。先客が帰ったので、わざわざ こちらへ挨拶に来てくれたのだろうか。世間話を五分もすれば終わるだろうと思っていたが、刀剣や歴史についてやたら詳しく、つい話し込んでしまった。そし て話をしているうちに目の前の男性がこの美術館の館長であり、舞草刀研究会の中鉢さんだということが判明し、二度驚いてしまった。ネットでこの美術館で見 つけた時、『中鉢』という名前と奥州刀の二つのキーワードから、真っ先に『舞草刀研究紀要』の中でよく見かける中鉢氏の名を連想した。しかし、確か同氏は 一関在住と記憶していたので、まさか岩出山にいるわけはない。それに『舞草刀研究紀要』で見た顔写真に比べて、かなり痩せているので同一人物とは全く気が つかなかった。大変な失礼をしてしまった。なんでも奥州刀を展示できる美術館の建設を思い立ったが、当時住んでいた一関に建てることができず、次の候補地 として生まれ故郷の岩出山を選んだのだそうだ。そして、一年ほど前に、様々な人達の協力もあって、この美術館を完成したそうだ。創立が最近のことと知っ て、少々安心した。それにしても、まずお会いできる機会が無いだろうなと思ってい方が、こうして目の前にいる。人生わからないものだ。
 刀剣そのものだけでなく、それに関わる人々や業界のお話なども沢山して頂き、私のするつまらない話や質問にもいちいち応えて下さった。中でも最も印象に 残ったのは、先日の東北関東大震災の大きな揺れで館内の新刀が落下してしまったが、古刀はびくともしなかったという話だ。鉄屎を求める人々の話も面白かっ た。

 しばらく立ち話を続けていたら、奥様に「こちらへどうぞ」と誘われてロビーへ移動し、お茶を御馳走になってしまった。恐縮しながらも頂戴し、引き続きお話を伺った。
 中鉢さんは頻りに、刀や人は自然と集まってくるということを仰有っていた。館内の収蔵品は全て中鉢さん独りの力で収集したものではなく、中には「ここに なら間違いない」と提供を申し出る方もおられるそうだ。中鉢さんがこれまで舞草鍛冶をはじめ、奥州刀の研究などや発展のために寄与貢献されてきたことが大 きいのだろう。刀剣の知識や刀剣そのものを求める段階から、刀剣界に尽くす段階へ進まれている。個人で刀剣の美術館を創立するなど、只の道楽では決して出 来ることではない。また、後進の育成についても意識されているそうで、若い人を気にかけているようだ。刀鍛冶や研ぎ師に憧れる若い人が、中鉢さんに相談を 持ちかけることがあるそうで、応援したりアドバイスをすることもあるそうだ。 
 私が中鉢さんと邂逅したのも、刀を通しての縁だ。「以○会友」という言葉があるが、この出会いが「以刀会師」となればいいのだが。

 尚、中鉢美術館では二週間後に『いにしえの名刀展』という企画展を開催するそうで、テーマは「日本刀の源流たる奥州刀をはじめ、それに関わる諸国の名刀 の展示」。刀への関心が薄い一般の方々にも向けて、一度はその名を聞いたことがあるだろう、村正を展示するそうだ。奥州刀について沢山の人々に知ってもら いたい、見てもらいたいという思いが伝わってくる。会期は5月14日から8月28日までで、なんと入館料は全額被災地に寄付されるそうだ。一部なら兎も 角、全額というのは中々出来るものではない。崇高な理念の基に開催される企画展なので、一人でも多くの方々に足を運んで頂きたい。
 
 話に夢中で随分と長居してしまったので、名残惜しいがお暇することにした。予定していた三条山は諦めることにしたが、大変有意義な時間を過ごすことがで きた。奥州鍛冶及びその流れを汲むの名刀の数々を見ることが出来たのもよかったが、なによりも素晴らしい出会いを得ることが出来た。そういえば三条山につ いても詳しくお聞きすればよかった…。

 宮城県内に刀剣を中心に扱ったスポットがあるのは大変有難い。これから足繁く通おう。



 以下、『日本刀銘鑑(本間薫山 校閲/石井昌國 編著)』より。
 「上一」舞草則常同人ともいう。大宝・天平ともしるし、天国の門ともいう。大和。〈注〉銘文の始源例。銘字は符号から始まるともみられる。
 「上一丸」奥州玉造郡住。のち大和にうつり宇陀に住すという。
 「家則」舞草。宮城玉造郡住。元暦という。
 「家則」舞草。宮城玉造郡住。建長ころ。〈注〉玉造は平泉の南、玉造軍団の在所。「太平記」に三の真国ありという。
 「真国」舞草。三の真国という。元暦という。陸奥。〈注〉奥州宮城郡の刀工。鬼丸をつくるという。(太平記)この真国が鎌倉に来て山内鍛冶の祖ともなるという。ただし作例はない。
 「真国」陸奥同人という。元暦という。伯耆。
 「貞房」舞草。宮城玉造郡住。文保ころ。