2011年5月1日日曜日

震災後に訪れる一関


 東北関東大震災以降、久しぶりに一関へ。

 東北関東大震災後に一関を訪れるのは今日が初めて。ずいぶんと久しぶりな気がする。宮城もそうだが、内陸部の被災状況はそれほど多く伝えられないので、 どんな様子なのかとても気になっていた。一関市博物館のサイトを見る限り、収蔵品や建物に大きな被害は受けていないようで安心したが、観音山は果たしてど うだろうか。


 先ず厳美渓へ行ってみる。震災の影響でガラガラなのではないかと思っていたが、まずまずの賑わいだった。今日は雨 のせいか、水量が多いようだ。『岩手・宮城内陸地震』の後に訪れたときは、ずいぶんと水嵩が減っていたのが印象的だった。渓流を眺めていると、名物『かっこうだんご』がロープを伝っていく様子が見られた。こういった何気ない一コマが、経済的や心情的な盛り上がりに繋がっていくように思える。


 さて次は一関市博物館。被災地では被害を受けて休館を余儀なくされている博物館や美術館がある。そんな中、こうして見学に訪れることが出来るのは有難いことだ。


・刀 (額銘) 建武寶壽
・太刀 寶壽
・太刀 寶壽
・脇指 寶壽(ウラ)貞治三年八月日
・短刀 寶壽
・刀 奥州仙䑓住國包
・刀 一関士宗明作(ウラ)応西尾守房需
・脇指 明弘
・短刀 玉英
・太刀 行光
・刀 備州長船祐定(ウラ)天正二年八月日
・刀 万歳藤田近江守藤原継平(ウラ)天明三癸卯年八月日
・刀 備前介藤原宗次(ウラ)文久四年二月日

・先込式大筒 宗明(ウラ)(金象嵌銘)雲月
・火縄銃 一関住源充正造之応需上鍛
・傍装雷火銃 臣久保田宗明充正作 安政五年二月吉日

 
 もし建物や刀が被害を受けていれば、こうして当たり前のように見学することは出来なかったかもしれない。今こうして刀を眺められることに感謝せずにはいられない。
 今回面白かったのは、宗明の銃三挺が展示されていたことだ。宗明がもともと鉄砲鍛冶だったことは知っていたが、実物を見るのは初めて。


  最後は観音山へ向かう。バイパスはいつもと変わりなかったが、一関市内の道路は端などに隆起や陥没が見られ、ここにも震災の爪痕が残されていることを実感 した。そういった道は気をつけて通ればなんてこと無いのだが、困ったことにいつもの道(14号線)が通行止めとなっており、大きく迂回する羽目になってしまった。知らない道を進んだため、かなり迷ってしまい、相当時間を無駄にしてしまった。

 観音山は立入禁止というような事態にはなってお らず、また儛草神社もこれといって被害を受けてはいないようで一安心。ただ、『舞草神社西遺跡』の標柱が倒れてしまったようで、木に括り付けられていた。  地震の影響を受けたものか不明だが、『舞草小戸山遺跡』の標識の傾きが一層ひどくなったような気がする…。