前半に引き続き、残りの遺跡巡り。
儛草神社から戻り始めてすぐ、右手(南側)に『舞草小戸山遺跡』の標を見つける。参道よりやや低くて目立たない所に有り、危うく見落とすところだった。
ここからは『釘』、『鉄鏃』、『土器』などが発見されたそうだ。気になるのは『鍛冶伝承地周辺図』に『舞草小戸山遺跡』が載っておらず、代わりに『舞草鍛冶遺跡』が『土師・須恵器片出土地』となっていることだ。
行きで探索を我慢した『舞草鍛冶遺跡』と『鉱山跡(白山岳山頂周辺)』のポイントまで漸く戻ってきた。すぐ右(西)へ道があるが、先ずは左の『鉱山跡』へ行ってみる。
人が普段通らないために植物が生い茂っているが、不思議と道だと認識出来る。少し進むと石碑を見つけたが、鍛冶とは無関係だった。
更に行くと岩場に出たが、これといったものは見当たらない。木の枝をかき分け斜面を登ってみるが何も見つけられなかった。どうやらハズレだったようだ。 それどころか、道無き道を来たものだから、自分がどこを通ってきたかわからなくなってしまった。兎に角、斜面を下りながら右へ右へと向かった。「ああ、 迷ったかも…」と不安に襲われたが、どうにか戻ることが出来た。大昔の修験者が山を進むのに、刀を必要としたというのを身をもって感じた。
もう一ヶ所、人が通れる所を見つけ、何となく気になる。「迷ったらどうしよう」と少々不安を覚えながらも、先程の生還(大袈裟)で少々大胆になり、何の根拠もなく進んでみることにする。
暫く進むと『舞草鍛冶遺跡』の標を発見!アタリである。参道脇に建つ『舞草鍛冶遺跡』の標は此処のことを指すのかもしれない。だとすれば此処から『羽 口』の一部と『鉄滓』が発見されたということになる。そうすると『鉱山跡』も他にあるということか…?地図では此処より南に白山岳鉱山跡が標されてい る。それにしてもここに立つ標識だけ古く細い。最初に発掘調査が行われた場所なのではないだろうか。
最後は前の二ヶ所に比べると道らしい道と思える通りだ。途中、注連縄で結ばれている二本の杉が有り、少し先で道が二つに分かれている。多分、真直ぐ(西)行けばこのまま神社へ向かうか、東参道へ合流するのだろう。ここはもう一本の道へ進んでみる。
しばらく行くと、また注連縄を見つける。ここには曾て『金鋳神像』が祀られていたようだ。
一度道へ戻り、奥(東)へ続く道を進むと、また注連縄が。後には巨大な岩が聳える。はじめはここが何を祀っているのか見当もつかなかったが、地図にある 『鉱山跡』の場所と大体一致する。先程、難儀しながら見て廻った岩場が『鉱山跡』なのではなく、此処こそがそうなのかもしれない。
来た道を慎重に引き返し、二本杉の通りへ戻り、西へ向かうと思った通り東参道に合流。
全てを行き尽くしたわけではないし、不明な点も多々有るが、それでも一通り見て廻ることが出来たと思うので、そろそろ引き上げることにする。
帰り道、表参道の入り口を見つける。前回、気付かないで通り過ぎていた。
道は徐々に険しくなる。しばらくすると石段が現れるが、また消えてしまう。
また階段があらわれ、道路を越えてると、先程引き返した道に続き、神社正面に辿り着く。この表参道の往復は半分の距離でも大変だった。本来はこちらの参道を登って神社へ至るのだろうが、現在では車で来られる東参道を利用しているのではないだろうか。
時間に余裕があったので『一関市博物館』へ。現在は通常展示室と企画展示室は改装中のため見学出来ない状態だった。しかし、目当ての刀剣コーナーが生きていて本当に良
かった。もしそうでなかったら項垂れて帰っていたことだろう…。
・太刀 舞草 72.7 3.2
・太刀 友安 69.3 1.4
・薙刀 無銘(舞草) 66.8 3.1
・太刀 寶壽 70.1 2.4
・刀 無銘(月山) 66.5 1.7
・刀 奥州仙䑓住國包 75.5 1.2
・刀 一関士宗明作 元治元年八月吉日(ウラ)振此利刀鏖敵者誰多巻觀民 70.5 1.5
・脇指 陸中國宗明 45.3 0.9
・脇指 明弘 38.3 0.7
・太刀 行光 84.1 2.3
・刀 備州長船祐定(ウラ)天正二年八月日
・脇指 武蔵大掾藤原是一 45.2 0.9
・刀 備前介藤原宗次 文久四年二月日 71,1 1,2
いつもは箸休め的にサラッとしか見ていなかった発掘物も、今日は遺跡を見て廻った後なので、とても興味深く見ることが出来た。『石像金鋳神像』が『金鋳神像跡』に祀られていた姿を想像してみる。
・釘(舞草小戸山遺跡)
・鉄鏃(舞草小戸山遺跡)
・羽口(舞草鍛冶遺跡)
・土器(舞草神社西遺跡・舞草小戸山遺跡)
・窯壁(伝古屋敷跡)
・鉄滓(舞草鍛冶遺跡)
・石像金鋳神像
お彼岸のためか、館内の一部改装のためか、客は私の他に誰も居なかった。そのため、貸し切りような気分で刀に見入ることが出来た。発掘物同様、舞草刀も旧舞草山の刀鍛冶に思いを寄せながら、いつもと違った気分で見学できた。また、はじめて『二代国包』を見たとき、『初代』でないことにがっかりしたものだが、今日は敬意を払いながら改めて見直した。
・太刀 友安 69.3 1.4
・薙刀 無銘(舞草) 66.8 3.1
・太刀 寶壽 70.1 2.4
・刀 無銘(月山) 66.5 1.7
・刀 奥州仙䑓住國包 75.5 1.2
・刀 一関士宗明作 元治元年八月吉日(ウラ)振此利刀鏖敵者誰多巻觀民 70.5 1.5
・脇指 陸中國宗明 45.3 0.9
・脇指 明弘 38.3 0.7
・太刀 行光 84.1 2.3
・刀 備州長船祐定(ウラ)天正二年八月日
・脇指 武蔵大掾藤原是一 45.2 0.9
・刀 備前介藤原宗次 文久四年二月日 71,1 1,2
いつもは箸休め的にサラッとしか見ていなかった発掘物も、今日は遺跡を見て廻った後なので、とても興味深く見ることが出来た。『石像金鋳神像』が『金鋳神像跡』に祀られていた姿を想像してみる。
・釘(舞草小戸山遺跡)
・鉄鏃(舞草小戸山遺跡)
・羽口(舞草鍛冶遺跡)
・土器(舞草神社西遺跡・舞草小戸山遺跡)
・窯壁(伝古屋敷跡)
・鉄滓(舞草鍛冶遺跡)
・石像金鋳神像
お彼岸のためか、館内の一部改装のためか、客は私の他に誰も居なかった。そのため、貸し切りような気分で刀に見入ることが出来た。発掘物同様、舞草刀も旧舞草山の刀鍛冶に思いを寄せながら、いつもと違った気分で見学できた。また、はじめて『二代国包』を見たとき、『初代』でないことにがっかりしたものだが、今日は敬意を払いながら改めて見直した。