2008年10月20日月曜日

塩竃神社博物館 特別展『塩竈神社と伊達家の信仰』

 宮城では現在、『美味し国伊達な旅 - 仙台・宮城デスティネーションキャンペーン - 』を展開している。仙台市博物館の企画展『最後の戦国武将 伊達政宗』もそうなのだが、塩竃神社博物館ではキャンペーンと連動して特別展『塩竈神社と伊達家の信仰』を開催している。
  当然、企画向けの展示品が大幅にスペースを占めるだろうから、もしかすると刀剣類は肩身の狭い思いをしてるのかもしれない。最悪、今回は出番無しとか…。 しかし、その思惑は良い方へ外れた。確かに刀剣関係のスペースは狭くなっていたが、『奉納太刀』ということで太刀と外装が充実していたのだ。
 先ず、雲生とそれに付属する黒漆太刀拵があり、続いて歴代の仙台藩主が奉納した太刀八口、糸巻太刀拵が四口展示されていた。雲生と外装が飾られていたア クリル製の展示棚は、全部で四口が展示可能で、二口分が空いていた。多分、來国光と外装が展示されるのだろうが、そこにはなかった。雲生と入替えたり、は たまた同時に展示されることは有るのだろうか?

 伊達家お抱え刀工の八家(余目・大友・熊谷・田代・本郷・阿部・庄司・木村)の鍛刀した奉納太刀が一口ずつ展示されており、それぞれ時代は違えども一同に揃うと壮観である。

・太刀 安倫(四代綱村公奉納)
・太刀 家定(五代吉村公奉納)
・太刀 包吉(六代宗村公奉納)
・太刀 包蔵(六代宗村公奉納)
・太刀 兼次(七代重村公奉納)
・太刀 永茂(十一代斉義公奉納)
・太刀 國包(十二代斉邦公奉納)
・太刀 國次(十三代慶邦公奉納)

 『奉納太刀』は四代綱村が藩主となって来国光を奉納したのが始まりで、別宮・左宮・右宮にそれぞれ一口ずつ奉納するようになったのは、五代吉村からだそうだ。
 それにしても意外というか残念なのは、国包一門が作った奉納太刀の数の少なさだ。太刀の奉納は、計12回で各回三口ずつ。初めて下命があったのは9回目 の年で、十一代国包が一口。それから11回目と12回目の年に十二代国包が一口ずつ。奉納太刀三十九口のうち、国包一門が緞刀したのは計三口のみ。原因 は、奉納時期の国包家当主が何れも若く、任されるに相応しくなかったからのようだ。タイミングが悪かったということか。また、五代目から十代目まで早世す る者が多く、刀鍛冶としてだけでなく本郷家そのものが絶えてしまう危機に幾度となくおそわれた。因に十一代と十二代は婿入りで(十二代は十一代の実子とい う説も)、初代とは赤の他人である。それでも嫁はどちらも本郷家の血縁者なので、幸い遺伝子は絶えていないようである。

 その隣には糸巻太刀拵がこれまた四口一緒に展示されている。いずれも紺色の糸で、一口だけ萌葱色。更に細かく見ればそれぞれ意匠が違う。どの拵にどの太 刀が収まるのかわからないが、各代仙台藩主によって奉納された太刀は計三十九口(内四口は現存せず)で、当然太刀拵もその分だけ奉納されたことだろう。三 十五口の太刀と拵が一同に展示されたら、さぞ壮観だろう。

 神道分野で一番興味深かったのは『鹽竈神社縁起』。創建以来、塩竃神社の祭神の名は明らかにされておらず、四代藩主綱村公が家臣に命じて神社に関する調査させた。その成果をもとに吉田兼見により『鹽竈神社縁起』が編まれたそうだ。

 鹽竈神社縁起
 陸奥國一宮正一位鹽竈大明神三社
 在宮城郡多賀國府民艮去国府城十八町許
 左宮 武甕槌命
 右宮 經津主命
 別宮 岐神
 (以下略)


 今日は見学に来て本当に良かった。刀剣類も思いのほか良かったし、神道分野の貴重な資料を見ることが出来た。

 帰宅してから受付で頂いた資料やパンフレットに目を通していて、今回の特別展は『東北歴史博物館』、『瑞巌寺』との合同開催だということを知った。東北歴史 博物館のサイトを覗いてみると、展示資料の項目に『太刀(銘 来国光)』、『太刀(銘 雲生)』、『黒漆太刀拵(雲生太刀拵)』とある。塩竃神社博物館に來国光が無かったのは、東北歴史博物館に貸し出していたからなのか?それなら、今日来国 光が展示されていなかったのは納得出来る。更に『伊達家歴代藩主奉納太刀ならびに糸巻拵』というのを見つけ、期待がふくらんでしまう。詳細は全くわからな いが、取り敢えず行ってみようか?

2008年10月19日日曜日

『刀と陶 - 現代加美 灼熱のアート展 -』

 先週、芋煮会参加のために行き損なった加美町の『切込焼記念館』へ。
 
 『切込焼記念館( 加美町ふるさと陶芸館)』では江戸時代後期から明治初期まで宮崎町の切込地区で生産されていた『切込焼(きりごめやき)』と呼ばれる陶磁器が多数展示されおり、そ れに加えて現在(前期:10月4日~10月26日)『刀と陶 - 現代加美 灼熱のアート展 -』と銘打った企画展が開催されている。刀は刀匠の『早坂信正』氏、陶器は陶芸家の『金澤勝』氏の作品をそれぞれ扱っている。先週の 日曜(10月12日)は早坂信正氏の講演会があったので狙っていたのだが、道場の芋煮会に参加したため叶わなかった。それでも刀と陶磁器を見ることはでき るので、加美町にある『切込焼記念館』へ出かけることにした。

 そう思い立っても、実はまだ一度も加美町に行ったことがなく、土地勘が全く無い。それでも大した下調べもせず、パンフレットの簡略化された小さな地図を便りに出発。
 午後一時半に家を出て、ひたすら国道4号線を北上。国道457号線とに枝分かれするY字路に差掛かり、いつもなら古川へ行くために右の4号線をそのまま 道なりに進むところだが、今日は左折する。何だか変な感じである。途中に「陶芸の里まで30㎞」と看板があったので、とにかく直進。次は国道347号線に ぶつかったところで左折。ここまでは良かった。パンフレットの地図ではその後、西に進めば目的地に到着出来るような画かれ方なのだが、本当は更に256号 線を行かなければならないのだ。不安だったが案内や標識によると、そのまま国道347号線を進むと尾花沢つまり山形に行ってしまうようなのだ。実際その通 りだったのだが、256号線を進んでいる間は不安でしょうがなかった。案内の『陶芸の里』を目標に進んでいたが、パンレットにあるのは『加美町ふるさと陶 芸館』と『切込焼記念館』であって、『陶芸の里』というのは一文字も出ていない。だんだん焦ってくる。しかし、何とかなるだろうと、引き返すことも道を尋 ねることもせずに道を進み続けた。
 そんな中、漸く施設らしき大きな建物が見えてきた。残念ながら目的地ではなかったのだが、そこは目印の『スポーツ公園』だった。看板を見て目を疑った。 『陶芸の里スポーツ公園』…。慌てて地図を見ると『スポーツ公園』の字の上にちゃんと『宮崎地区陶芸の里』とあるではないか。完全な見落としと勘違いであ る。どうやらここら一帯を『陶芸の里』と呼ぶらしい。何にせよ『加美町ふるさと陶芸館』まではもう少しだということがはっきりしたので、道を急ぐ。

 何とか目的地に到着すると時間はとっくに3時半を過ぎていた。似たような建物がいくつかあって、どれが『切込焼記念館』か一目ではわからなかった。建物の前は公園のようになっていて、家族連れが楽しそうに遊んだり散歩していた。時間が惜しいので『切込焼記念館』へ。

 受付を済ませ、会場の扉を開けると先ずは刀剣コーナーだった。その奥には陶器コーナーが続く。

・短刀 信正(ウラ)平成七年八月日
・刀 色麻住信正(ウラ)平成五年八月日
・短刀 信正(ウラ)平成十三年八月日
・刀 早坂信正(ウラ)平成十年八月日
・刀 船形山麓 早坂信正(ウラ)平成七年八月日 野州ニ眠ル以古鉄造之
・脇指 信正(ウラ)平成三年八月日
・太刀 信正
・短刀 信正作(ウラ)平成二十年五月五日

 展示目録に記載されている作品は17口だが、このコーナーにあるのは8口。その次は陶器類しか見当たらない。少々寂しかったが、残りは後期に入れ替えす るのかなと自分を納得させ、切込焼を見て回る。陶器類に関しては全くの門外漢であるが、蛸唐模様のトックリ(染付蛸唐草文らっきょう徳利)はシンプルで好 みだった。手頃なサイズと値段のものがあったら是非欲しいと思った。建物は二階建てで、しかも中空の渡り廊下を通って隣の棟にも行ける。そしてこの棟の階 段を降りると受付のある正面玄関に出るようだ。また展示場の入り口付近に戻り、しつこく刀に見入る。
 館内には他に客は一人も居らず、流石に帰りの時間も気になってきたので、そろそろ帰ることにする。先ほどの順路を辿って隣の棟の一階まで行き驚いた。もう一ヶ所展示スペースがあったのだ。それも刀が沢山展示してある。慌ててそれらを鑑賞する。

・刀 早坂信正作之(ウラ)平成十三辛巳年二月日
・脇指 早坂信正(ウラ)平成十年二月日
・脇指 早坂信正
・刀 船形山麓色麻住 早坂信正(ウラ)平成九年八月日
・刀 信正(ウラ)平成七年八月日 野州ニ眠ル以古鉄造之
・刀 船形山麓 早坂信正(ウラ)平成十三年二月日
・太刀 信正(ウラ)平成六年二月日
・短刀 早坂信正(ウラ)平成八年二月日
・短刀 早坂信正(ウラ)平成十七年八月日

 好みの鍛えの作品は殆どが大和伝と山城伝だった。中でも際立っていた山城伝の太刀『信正』はかの名刀『古今伝授行平(太刀 豊後国行平作)』の写しだそうである。展示目録によると、17口の内訳は大和伝3口、山城伝一口、その他は全て相州伝。
 開館時間は午後4時30分までなのだが、そうとは知らずに粘っていつまでも刀を鑑賞していた。本当に記念館の関係者には良い迷惑の客である。外に出ると 辺りは既に暗くなっており、人っ子一人居らず、車場にあるのは私の車だけ。私がこの日の最後の客となってしまったようだ。急に言い様のない寂しさに襲わ れ、その場を後にした。

 今回は特にカーナビの必要性を思い知らされた。それと今回の調子だったら、先週の講演会には多分間に合わなかっただろう…。