宮城では現在、『美味し国伊達な旅 - 仙台・宮城デスティネーションキャンペーン - 』を展開している。仙台市博物館の企画展『最後の戦国武将 伊達政宗』もそうなのだが、塩竃神社博物館ではキャンペーンと連動して特別展『塩竈神社と伊達家の信仰』を開催している。
当然、企画向けの展示品が大幅にスペースを占めるだろうから、もしかすると刀剣類は肩身の狭い思いをしてるのかもしれない。最悪、今回は出番無しとか…。
しかし、その思惑は良い方へ外れた。確かに刀剣関係のスペースは狭くなっていたが、『奉納太刀』ということで太刀と外装が充実していたのだ。
先ず、雲生とそれに付属する黒漆太刀拵があり、続いて歴代の仙台藩主が奉納した太刀八口、糸巻太刀拵が四口展示されていた。雲生と外装が飾られていたア クリル製の展示棚は、全部で四口が展示可能で、二口分が空いていた。多分、來国光と外装が展示されるのだろうが、そこにはなかった。雲生と入替えたり、は たまた同時に展示されることは有るのだろうか?
伊達家お抱え刀工の八家(余目・大友・熊谷・田代・本郷・阿部・庄司・木村)の鍛刀した奉納太刀が一口ずつ展示されており、それぞれ時代は違えども一同に揃うと壮観である。
・太刀 安倫(四代綱村公奉納)
・太刀 家定(五代吉村公奉納)
・太刀 包吉(六代宗村公奉納)
・太刀 包蔵(六代宗村公奉納)
・太刀 兼次(七代重村公奉納)
・太刀 永茂(十一代斉義公奉納)
・太刀 國包(十二代斉邦公奉納)
・太刀 國次(十三代慶邦公奉納)
『奉納太刀』は四代綱村が藩主となって来国光を奉納したのが始まりで、別宮・左宮・右宮にそれぞれ一口ずつ奉納するようになったのは、五代吉村からだそうだ。
それにしても意外というか残念なのは、国包一門が作った奉納太刀の数の少なさだ。太刀の奉納は、計12回で各回三口ずつ。初めて下命があったのは9回目 の年で、十一代国包が一口。それから11回目と12回目の年に十二代国包が一口ずつ。奉納太刀三十九口のうち、国包一門が緞刀したのは計三口のみ。原因 は、奉納時期の国包家当主が何れも若く、任されるに相応しくなかったからのようだ。タイミングが悪かったということか。また、五代目から十代目まで早世す る者が多く、刀鍛冶としてだけでなく本郷家そのものが絶えてしまう危機に幾度となくおそわれた。因に十一代と十二代は婿入りで(十二代は十一代の実子とい う説も)、初代とは赤の他人である。それでも嫁はどちらも本郷家の血縁者なので、幸い遺伝子は絶えていないようである。
その隣には糸巻太刀拵がこれまた四口一緒に展示されている。いずれも紺色の糸で、一口だけ萌葱色。更に細かく見ればそれぞれ意匠が違う。どの拵にどの太 刀が収まるのかわからないが、各代仙台藩主によって奉納された太刀は計三十九口(内四口は現存せず)で、当然太刀拵もその分だけ奉納されたことだろう。三 十五口の太刀と拵が一同に展示されたら、さぞ壮観だろう。
神道分野で一番興味深かったのは『鹽竈神社縁起』。創建以来、塩竃神社の祭神の名は明らかにされておらず、四代藩主綱村公が家臣に命じて神社に関する調査させた。その成果をもとに吉田兼見により『鹽竈神社縁起』が編まれたそうだ。
鹽竈神社縁起
陸奥國一宮正一位鹽竈大明神三社
在宮城郡多賀國府民艮去国府城十八町許
左宮 武甕槌命
右宮 經津主命
別宮 岐神
(以下略)
今日は見学に来て本当に良かった。刀剣類も思いのほか良かったし、神道分野の貴重な資料を見ることが出来た。
帰宅してから受付で頂いた資料やパンフレットに目を通していて、今回の特別展は『東北歴史博物館』、『瑞巌寺』との合同開催だということを知った。東北歴史 博物館のサイトを覗いてみると、展示資料の項目に『太刀(銘 来国光)』、『太刀(銘 雲生)』、『黒漆太刀拵(雲生太刀拵)』とある。塩竃神社博物館に來国光が無かったのは、東北歴史博物館に貸し出していたからなのか?それなら、今日来国 光が展示されていなかったのは納得出来る。更に『伊達家歴代藩主奉納太刀ならびに糸巻拵』というのを見つけ、期待がふくらんでしまう。詳細は全くわからな いが、取り敢えず行ってみようか?
先ず、雲生とそれに付属する黒漆太刀拵があり、続いて歴代の仙台藩主が奉納した太刀八口、糸巻太刀拵が四口展示されていた。雲生と外装が飾られていたア クリル製の展示棚は、全部で四口が展示可能で、二口分が空いていた。多分、來国光と外装が展示されるのだろうが、そこにはなかった。雲生と入替えたり、は たまた同時に展示されることは有るのだろうか?
伊達家お抱え刀工の八家(余目・大友・熊谷・田代・本郷・阿部・庄司・木村)の鍛刀した奉納太刀が一口ずつ展示されており、それぞれ時代は違えども一同に揃うと壮観である。
・太刀 安倫(四代綱村公奉納)
・太刀 家定(五代吉村公奉納)
・太刀 包吉(六代宗村公奉納)
・太刀 包蔵(六代宗村公奉納)
・太刀 兼次(七代重村公奉納)
・太刀 永茂(十一代斉義公奉納)
・太刀 國包(十二代斉邦公奉納)
・太刀 國次(十三代慶邦公奉納)
『奉納太刀』は四代綱村が藩主となって来国光を奉納したのが始まりで、別宮・左宮・右宮にそれぞれ一口ずつ奉納するようになったのは、五代吉村からだそうだ。
それにしても意外というか残念なのは、国包一門が作った奉納太刀の数の少なさだ。太刀の奉納は、計12回で各回三口ずつ。初めて下命があったのは9回目 の年で、十一代国包が一口。それから11回目と12回目の年に十二代国包が一口ずつ。奉納太刀三十九口のうち、国包一門が緞刀したのは計三口のみ。原因 は、奉納時期の国包家当主が何れも若く、任されるに相応しくなかったからのようだ。タイミングが悪かったということか。また、五代目から十代目まで早世す る者が多く、刀鍛冶としてだけでなく本郷家そのものが絶えてしまう危機に幾度となくおそわれた。因に十一代と十二代は婿入りで(十二代は十一代の実子とい う説も)、初代とは赤の他人である。それでも嫁はどちらも本郷家の血縁者なので、幸い遺伝子は絶えていないようである。
その隣には糸巻太刀拵がこれまた四口一緒に展示されている。いずれも紺色の糸で、一口だけ萌葱色。更に細かく見ればそれぞれ意匠が違う。どの拵にどの太 刀が収まるのかわからないが、各代仙台藩主によって奉納された太刀は計三十九口(内四口は現存せず)で、当然太刀拵もその分だけ奉納されたことだろう。三 十五口の太刀と拵が一同に展示されたら、さぞ壮観だろう。
神道分野で一番興味深かったのは『鹽竈神社縁起』。創建以来、塩竃神社の祭神の名は明らかにされておらず、四代藩主綱村公が家臣に命じて神社に関する調査させた。その成果をもとに吉田兼見により『鹽竈神社縁起』が編まれたそうだ。
鹽竈神社縁起
陸奥國一宮正一位鹽竈大明神三社
在宮城郡多賀國府民艮去国府城十八町許
左宮 武甕槌命
右宮 經津主命
別宮 岐神
(以下略)
今日は見学に来て本当に良かった。刀剣類も思いのほか良かったし、神道分野の貴重な資料を見ることが出来た。
帰宅してから受付で頂いた資料やパンフレットに目を通していて、今回の特別展は『東北歴史博物館』、『瑞巌寺』との合同開催だということを知った。東北歴史 博物館のサイトを覗いてみると、展示資料の項目に『太刀(銘 来国光)』、『太刀(銘 雲生)』、『黒漆太刀拵(雲生太刀拵)』とある。塩竃神社博物館に來国光が無かったのは、東北歴史博物館に貸し出していたからなのか?それなら、今日来国 光が展示されていなかったのは納得出来る。更に『伊達家歴代藩主奉納太刀ならびに糸巻拵』というのを見つけ、期待がふくらんでしまう。詳細は全くわからな いが、取り敢えず行ってみようか?