2008年10月19日日曜日

『刀と陶 - 現代加美 灼熱のアート展 -』

 先週、芋煮会参加のために行き損なった加美町の『切込焼記念館』へ。
 
 『切込焼記念館( 加美町ふるさと陶芸館)』では江戸時代後期から明治初期まで宮崎町の切込地区で生産されていた『切込焼(きりごめやき)』と呼ばれる陶磁器が多数展示されおり、そ れに加えて現在(前期:10月4日~10月26日)『刀と陶 - 現代加美 灼熱のアート展 -』と銘打った企画展が開催されている。刀は刀匠の『早坂信正』氏、陶器は陶芸家の『金澤勝』氏の作品をそれぞれ扱っている。先週の 日曜(10月12日)は早坂信正氏の講演会があったので狙っていたのだが、道場の芋煮会に参加したため叶わなかった。それでも刀と陶磁器を見ることはでき るので、加美町にある『切込焼記念館』へ出かけることにした。

 そう思い立っても、実はまだ一度も加美町に行ったことがなく、土地勘が全く無い。それでも大した下調べもせず、パンフレットの簡略化された小さな地図を便りに出発。
 午後一時半に家を出て、ひたすら国道4号線を北上。国道457号線とに枝分かれするY字路に差掛かり、いつもなら古川へ行くために右の4号線をそのまま 道なりに進むところだが、今日は左折する。何だか変な感じである。途中に「陶芸の里まで30㎞」と看板があったので、とにかく直進。次は国道347号線に ぶつかったところで左折。ここまでは良かった。パンフレットの地図ではその後、西に進めば目的地に到着出来るような画かれ方なのだが、本当は更に256号 線を行かなければならないのだ。不安だったが案内や標識によると、そのまま国道347号線を進むと尾花沢つまり山形に行ってしまうようなのだ。実際その通 りだったのだが、256号線を進んでいる間は不安でしょうがなかった。案内の『陶芸の里』を目標に進んでいたが、パンレットにあるのは『加美町ふるさと陶 芸館』と『切込焼記念館』であって、『陶芸の里』というのは一文字も出ていない。だんだん焦ってくる。しかし、何とかなるだろうと、引き返すことも道を尋 ねることもせずに道を進み続けた。
 そんな中、漸く施設らしき大きな建物が見えてきた。残念ながら目的地ではなかったのだが、そこは目印の『スポーツ公園』だった。看板を見て目を疑った。 『陶芸の里スポーツ公園』…。慌てて地図を見ると『スポーツ公園』の字の上にちゃんと『宮崎地区陶芸の里』とあるではないか。完全な見落としと勘違いであ る。どうやらここら一帯を『陶芸の里』と呼ぶらしい。何にせよ『加美町ふるさと陶芸館』まではもう少しだということがはっきりしたので、道を急ぐ。

 何とか目的地に到着すると時間はとっくに3時半を過ぎていた。似たような建物がいくつかあって、どれが『切込焼記念館』か一目ではわからなかった。建物の前は公園のようになっていて、家族連れが楽しそうに遊んだり散歩していた。時間が惜しいので『切込焼記念館』へ。

 受付を済ませ、会場の扉を開けると先ずは刀剣コーナーだった。その奥には陶器コーナーが続く。

・短刀 信正(ウラ)平成七年八月日
・刀 色麻住信正(ウラ)平成五年八月日
・短刀 信正(ウラ)平成十三年八月日
・刀 早坂信正(ウラ)平成十年八月日
・刀 船形山麓 早坂信正(ウラ)平成七年八月日 野州ニ眠ル以古鉄造之
・脇指 信正(ウラ)平成三年八月日
・太刀 信正
・短刀 信正作(ウラ)平成二十年五月五日

 展示目録に記載されている作品は17口だが、このコーナーにあるのは8口。その次は陶器類しか見当たらない。少々寂しかったが、残りは後期に入れ替えす るのかなと自分を納得させ、切込焼を見て回る。陶器類に関しては全くの門外漢であるが、蛸唐模様のトックリ(染付蛸唐草文らっきょう徳利)はシンプルで好 みだった。手頃なサイズと値段のものがあったら是非欲しいと思った。建物は二階建てで、しかも中空の渡り廊下を通って隣の棟にも行ける。そしてこの棟の階 段を降りると受付のある正面玄関に出るようだ。また展示場の入り口付近に戻り、しつこく刀に見入る。
 館内には他に客は一人も居らず、流石に帰りの時間も気になってきたので、そろそろ帰ることにする。先ほどの順路を辿って隣の棟の一階まで行き驚いた。もう一ヶ所展示スペースがあったのだ。それも刀が沢山展示してある。慌ててそれらを鑑賞する。

・刀 早坂信正作之(ウラ)平成十三辛巳年二月日
・脇指 早坂信正(ウラ)平成十年二月日
・脇指 早坂信正
・刀 船形山麓色麻住 早坂信正(ウラ)平成九年八月日
・刀 信正(ウラ)平成七年八月日 野州ニ眠ル以古鉄造之
・刀 船形山麓 早坂信正(ウラ)平成十三年二月日
・太刀 信正(ウラ)平成六年二月日
・短刀 早坂信正(ウラ)平成八年二月日
・短刀 早坂信正(ウラ)平成十七年八月日

 好みの鍛えの作品は殆どが大和伝と山城伝だった。中でも際立っていた山城伝の太刀『信正』はかの名刀『古今伝授行平(太刀 豊後国行平作)』の写しだそうである。展示目録によると、17口の内訳は大和伝3口、山城伝一口、その他は全て相州伝。
 開館時間は午後4時30分までなのだが、そうとは知らずに粘っていつまでも刀を鑑賞していた。本当に記念館の関係者には良い迷惑の客である。外に出ると 辺りは既に暗くなっており、人っ子一人居らず、車場にあるのは私の車だけ。私がこの日の最後の客となってしまったようだ。急に言い様のない寂しさに襲わ れ、その場を後にした。

 今回は特にカーナビの必要性を思い知らされた。それと今回の調子だったら、先週の講演会には多分間に合わなかっただろう…。

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