2011年6月5日日曜日

中鉢美術館『えにしえの名刀展』


 開催から大分日が経ってしまったが、『中鉢美術館』の『えにしえの名刀展』へ行く。

 先月の大型連休初日に初めて『中鉢美術館』を訪れ、思いがけず館長の中鉢さんとお話しする機会を得た。刀剣をはじめ色々なお話を聞かせて頂いたのだが、そ の中に『えにしえの名刀展』を開催するという案内があった。この展示会のために『村正』をはじめ何口かの刀が用意されるということでとても楽しみなのだ が、加えて開催中(5/14~8/28)の入場料は全て義捐金として寄付されるという。これは是非参らねばなるまい。

 『中鉢博物館』に到着するが、とくに展示会を宣伝するようなものは見かけられず、いつもと変わらぬ外観の様子。前回は券売機で入場券を購入したが、今日 は受付の若い男性に直接入場料を支払う。名刀を眺められる上に、郷土への一助となれば、まさに二つのよろこびを同時に得られる。


・太刀 (底銘)舞草
・太刀 □安
・小太刀 國平
・太刀 閉寂
・太刀 長光
・刀 月山
・刀 月山

・太刀 寶壽
・太刀 寶壽
・太刀 寶壽
・太刀 無銘(伝諷誦)
・太刀 近村上

・太刀 正真
・太刀 行平
・脇指 波平行安 元弘三年八月日
・太刀 菅原國長
・脇指 長吉
・脇指 村正
・脇指 (村正)
・刀 奥州仙䑓住安倫 武州江城住大和守安定(ウラ)仙䑓住人山野加右衛門永久監之
・刀 山城大掾藤原國包
・刀 法華三郎信房 (八代)

・太刀 寶壽
・短刀 寶壽
・短刀 以奥州餅鉄 相州國住靖要作


 先日のお話の通り、村正の脇指が二口展示されていた。その内の一口は銘を作為的に潰し消されたものを、沢口希能博士が科学的手法で表出させたものだとい う。村正は世に言う妖刀伝説や、笹の葉の逸話に代表されるように何故か正宗と絡んだ俗説が多く、「相州正宗の門」とも称されるがこれは誤り。隣には村正の 師とされる長吉が展示されていた。 
 今回の目玉はやはり正真だろう。正真は友成と並ぶ古備前の祖正恒の子だそうで、その正恒は奥州舞草から移住した有正の子と伝えられる。正真が正恒の子な ら有正の孫か曾孫にあたるだろうか。正真が古の名刀として展示されるのに相応しいのは言うまでもないが、奥州の血脈を受け継ぐということでの中鉢美術館の 拘りがあるのだろう。
 ところで、宗近と同人であるという『我里馬』は元々奥州の人で、宗近は大和名なのだという。その『我里馬(k-arima)』と『有正(arima- sa)』は音が似ているのは偶々だろうか。『有(ari)』の字のつく名は『有成(ari-n-ari)』『有氏』『有永』等が居るし、そういえば『友成 (tomon-ari)』にも含まれている。

 中鉢さんは来館者を見つけては説明をしてまわられていたが、私に気付いてわざわざ話しかけて下さった。まだ二度目の来館なのだが、私の顔を憶えていて下 さったようだ。会話は来週の総会についてと軽くに留まり、「ゆっくり見ていって」とお気遣いの言葉を残して、新たな入館者のもとへと向かわれた。



 以下、『日本刀銘鑑(本間薫山 校閲/石井昌國 編著)』より。異体字の使用できないものは、□と()であらわした。
 「有行」舞草。有正の父という。出羽にてもうつと。大治という。
 「有正」舞草。安房弟。近霧同人という。保延ころ。陸奥。
 「有正」舞草。有正子。出羽・越前にてうち、のち備前にうつる。奥州太郎と号す。古備前初代正恒の父という。平治ころ。陸奥。
 「正恒」古備前。陸奥有正子。また同人ともいう。鬼切(長享)、足利又太郎忠綱の綱切太刀(観智)、太政大臣入道殿太刀の作者とあり。奥州太郎。永延という。備前
 「正真」古備前。正恒子という。建暦ころ。備前。〈注〉〈二振の太刀を経眼しているが、やはり正恒系とみえる。(薫山)〉
 「有成」宗近同人、また子という。奥州有正の門ともいう。悪源太義平の「石切」をつくる。一条院御宇。永延また正暦という。河内。
 「我里馬」陸奥秀衡の鍛冶。猛房子、鬼王丸弟。岩井郡住。応保ころ。「我里馬」は「我□(日+与のような字。旦+馬に見えるが…)」と観智院本にあるが 「我弖為」の誤写で、「我弖為」はえぞ人名である。例えば『続日本紀』にしるされる「夷大墓公阿弖利為」などであって、応保(一一六一)のころ平泉鍛冶カ テリイは猛房(もうふさ、舞草)の刀工で、藤原秀衡の抱工であるという。後世剣書は烏丸、我里宇丸、雁田丸、刈田丸、刈宇丸等の作者という。
 「雁宇」舞草。猛草子。元暦前という。我里馬同人か。
 「雁宇丸」秀衡の鍛冶。出羽鬼王丸の弟という。我□(弓+与)ときるという。雁田丸、刈田丸、我里馬いずれも同人か。応保ころ。〈注〉〈剣書では「我□(弓+与)」が古くのち我里馬となりさらに雁宇に転じ雁田となる〉
 「刈田丸」三条吉家の隠銘という。また陸奥我里馬同人ともいう。永延という。山城。〈注〉〈各系の伝承が混同している。秀衡の鍛冶我弖流為(我弖我里馬)よりきたようである。したがって平安最末のころとみるべきである〉