2008年5月5日月曜日

登米懐古館と一関市博物館

 ゴールデンウィークだからどこも混んでいると分かり切っているのに、『登米懐古館』と『一関市博物館』の二カ所をハシゴ見学しようと計画。
  朝9時に出発し、国道9号線を北上。思ったより道は混んでいない。順調に県道15号(古川登米線)へ入り、ひたすら長閑な田舎道を進む。前後には2~3 台しか車が走っておらず、ストレス無くスイスイ進める。案内標識が少なく少々迷ったが、どうにか目的地の『登米懐古館』に到着。

 『登米懐古館』には何とあの『伯耆国安綱』が収蔵されているそうで、それを目当てに今回見学することを決めたのだが、残念ながらお目に掛かることは出来なかった。常設展示ではないそうなので、期待はしていなかったがやはり残念。ここで見ることの出来たのは以下三口。

 ・太刀 備州長船恒弘
 ・脇指 古備前正恒
 ・脇指 伊達綱宗御作

 恒弘は近衛家より贈られたもので『三ツ引蟹牡丹紋散糸巻太刀拵』が一緒に展示されていた。綱宗公は仙台の三代藩主で、安倫を相槌に美濃伝や備前伝をえ る。慰打とよく言われるが、二万を超える刀匠な中から刀剣関係の書籍に採り上げられるのだから大したものだ。更には和歌、書、蒔絵など諸芸に通じる。そう いえば本棚にしまったきりの『樅ノ木は残った』を、いい加減に読まなければ…。


 登米~から一関への道は初めてで、加えて道路状況もわからないので、昼前に移動することにする。一度バイパスへ出ることも考えたが、混んでる可能性が高 く、何よりそこまで辿り着く自信がなかったので、すぐに見つけた登米と一関を結ぶ『国道342号線』を進むことにした。この道も大当たりで、交通量が少な く簡単な一本道。楽に一関市内に入ることが出来た。あとは前回の記憶を頼りに『一関市博物館』へ到着。先ずは腹ごしらえしようかとも考えたが、満腹になる と眠くなってしまうし、刀見たさの欲求が食欲に勝る。

 意を決して博物館へ。入場券を購入し、他の展示物など目もくれず(関係者の皆さんスイマセン)刀剣コーナーへまっしぐら。
 どうしても我慢できず、前回『二代国包』が飾ってあった向かって正面右側の展示ガラスへ。そこにあったのは…『初代国包』だった!嬉しかった。前回は初 代を目当てに来たのに会うことが叶わず落胆したものだが、今回はそれを果たすことが出来た。感動に浸りたいところだが、楽しみを取っておくことにして、入 口から順に見学する。

 ・太刀 寶壽
 ・太刀 寶壽
 ・脇指 寶壽(ウラ)貞治三年八月日
 ・脇指 寶壽
 ・太刀 舞草
 
 ・刀 山城大掾藤原國包
 ・刀 一関士源宗明作(ウラ)応藩士文之助森君需 文久二年八月吉日
 ・十文字槍 一関士源宗明造之(ウラ)慶応二年月日
 ・脇指 明弘
 ・刀 無銘(月山)
 ・脇指 康継於越前作之(三代)
 ・脇指 対馬守橘常光
 ・刀 以鐵鋼鑛岩野道俊造之(ウラ)安政七庚申歳二月日

 さて国包であるが、地沸のついた柾目鍛えで直刃が浅くのたれる。帽子は焼詰めで、焼出しはハバキで残念ながら見えず。中心は目釘穴が3つで、気になった のは銘が指裏に切られていることだった。もしかすると太刀銘なのかもしれないが、刃を上に向けて展示されており佩表ということではないようだ。
 地鉄や刃文の素晴らしさは勿論だが、姿の美しさは何も云うことがない。本当に私の理想形である。今回それほど期待してはいなかったのだが、目の当たりにすることができて本当によかった…。前回お目にかかることが出来なかったので、感動も一入である。

 そういえば『正恒』は今回も見ることが出来なかったが、まずは念願の初代国包が見られて本当によかった。
 今日見た国包がいつ頃の作なのか気になったので、帰宅後に資料を調べてみることにした。初代国包は何種類かの銘を切っているので、だいたいの年代は絞れ ると考えていたのだが、『山城大掾藤原国包』の銘は『寛永4・5年』に5口、『寛永9~11年』に6口、『寛永19・20年』に3口とそれぞれ鍛えている ようで、銘だけでは詳しいことがわからなかった。意外だったのは入道してからは『用恵国包』の銘しか切っていないと思っていたのだが、『国包』名義の銘を 3口ほど切っていたということだ。それらの銘を所望されたのか、或いは何か国包に思うところがあったのか。
 『仙台藩刀匠銘譜』には載ってないかとあたってみると、太刀銘のものが一口だけあった。刃長は二尺三寸三分(70.6㎝)、反り六分(1.8㎝)で寛永 11~2年頃の作という。塞がれたものを含めて目釘穴が4ヶ所。やはり太刀として注文を受けて鍛え、太刀銘として『佩表』に切ったと考える方が自然だろうか。