本日は『儛草神社』の場所を確認しに行ってみることに。
正午前に目が覚め、起き抜けに昼食を取る。
何処かに行きたいけれど、時間が半端で遠出は出来ない。移動距離が片道三時間を越えてしまうと、見学のための時間が十分にとれない。そんな中、思いつい たのが『儛草神社』の場所を確認することだった。一関を訪れる度に「早く舞草神社へ行かねば」と思うのだが、一度も果たせずにいた。いつも『一関市博物館』の見学だけで、あっという間に帰りの時間になってしまうからだ。同じ理由で『平泉』にも行けないでいる。一関までだったら片道約二時間半なので、午後1時に出発すれば、3時半頃に到着できる。帰りの時間を逆算して、四時半頃まで神社の探索ができる。早々に神社を見つけられれば参拝や散策も出来そうだ。 実際はそう上手くいかないものだが…。
早速、場所を確認して手書きの簡単な地図を作る。市内中心部は目印になるものが豊富だが、郡部はそれらが少ない。本当は神社のある観音山周辺こそ詳細に書かなければならないのだが、あまり時間に余裕が無いこともあり、神社周辺は『鍛冶伝承地周辺図』を参考にすることにした。
いつものように4号線を北上し、予定通り三時台に一関入りすることができた。博物館に行きたいところだが、グッと堪えて一関署の前で右折し、厳美渓とは 逆の東へ向かう。しばらくは手書きの地図を見ながら、信号と橋の数を頼りに進む。途中までは良かったのだが、北上川を越えた途端、急に迷いだしてしまった。ただでさ初めての道なのに、目印が少なく、加えて一面の雪景色のせいで、自分が何所を走っているのかよくわからない。しばらく走っていれば、そのうち神社か案内を見つけるのではないかと軽い気持ちでいたが、そう上手くはいかなかった。そんな調子で30分以上迷走していたが、雪かきしている男性を見つけ、道を尋ねることにした。そのお父さんが云うには、ここの先にバス停があり、そこを左に曲り、しばらく行った所にあるという。ただ、今日は雪が積もっているため、神社までは辿り着けないだろうと忠告された。私も始めからそのつもりだったので、「今日は場所を確認に来ただけなんです」と忠告に従うことを告げ、お礼を述べて車に乗り込んだ。
一先ず教わったバス停を目指したが、目印が雪に埋もれて判然としない。どうやら通り過ぎたらしくまた引き返すハメになった。つもった雪がここまで邪魔するとは。戻る途中、石柱の立ったそれらしい丁字路を見つけた。それが何と標されているか確認もせず、取り敢えずその道を進んだ。半ば自棄になっていた。
辺に注意を向けながらしばらく進むと、神社への入り口を示す『儛草神社東参道』の標示板を見つけることができた。その時の嬉しさと安堵感といったら…。
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一関市教育委員会による『舞草鍛冶』の解説。今回、神社探索の参考にした『鍛冶伝承地周辺図』が横に載せられている。 |
この上に神社があると思うとえも言われぬ気持ちになってくるが、先程のお父さんの言葉を思い出し、今回は諦めて大人しく帰ることにした。山道でスタックしては大変である。
散々迷ったせいで、時刻は4時半を回っていた。今日は本当に神社の場所を確認して終わってしまった。もし雪が無くて上まで登られたとしても、夕暮れの中、短時間しか参拝することができなかっただろう。
帰りは意外とすんなり4号線に乗ることができた。道すがら、当然のように奥州鍛冶への思いを馳せていた。
ところで、道州制が導入されたら、東北地方は何州になるのだろう。やはり東北州なのだろうか?それではつまらないから、『奥州』の方が良いような気がする。「奥州仙台住」。うん、好い響きだ。しかし、岩手には奥州市がある…。田中義一内閣の時代(1927年)、全国を6つの州に分ける「州庁設置案」というのがあったそうで、その案の中で東北は『仙台州』だったそうだ。
散々迷ったせいで、時刻は4時半を回っていた。今日は本当に神社の場所を確認して終わってしまった。もし雪が無くて上まで登られたとしても、夕暮れの中、短時間しか参拝することができなかっただろう。
帰りは意外とすんなり4号線に乗ることができた。道すがら、当然のように奥州鍛冶への思いを馳せていた。
ところで、道州制が導入されたら、東北地方は何州になるのだろう。やはり東北州なのだろうか?それではつまらないから、『奥州』の方が良いような気がする。「奥州仙台住」。うん、好い響きだ。しかし、岩手には奥州市がある…。田中義一内閣の時代(1927年)、全国を6つの州に分ける「州庁設置案」というのがあったそうで、その案の中で東北は『仙台州』だったそうだ。
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