本書には仙台藩お抱え刀工である『本郷国包』『田代永重』『大友国次』『余部安倫』『庄子包藏』『阿部包吉』『木村家定』の八家の系譜が網羅されてい る。冒頭から驚いたのが、何と国包代々の墓が現存し、しかもそれが近所らしいということだ。場所は『得生善導寺』という浄土宗のお寺で、地図で調べてみる と駅前に行くためよく通っている『新寺通り』にあるではないか。これは行くしかない。
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昭和四年六月、川口陟先生はじめ有志9名が建立した碑。現在は西門にあるが、区画整理されるまでは国包歴代の墓と一緒にあったという。 |
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本郷国包家累代の墓 |
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初代国包吉之允(源藏)の墓 |
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三代国包源次郎、初代、二代国包吉右衛門 |
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四代国包源十郎、五代国包三郎衛門 |
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六代国包権十郎、七代国包源十郎、八代国包吉右衛門 |
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十代国包源之助、九代国包半蔵 |
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十三代国包栄助、十二代国包源兵衛、十一代国包三之助(のち源藏) |
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初代の墓石の後に立っている石碑 |
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石碑の裏。昭和55年10月(22日)に『(財)日本美術刀剣保存協会』の宮城県支部によって建てられたことがわかる |
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名刺受に赤トンボ。あたりは蝉の声がうるさいほどだった |
初代国包は本名を本郷源藏といい、後に吉之允と改める。23歳の時に伊達政宗に召し抱えられ、28で越中守正俊のもとで数年の修行をし、37(36歳説 有り)で『山城大椽』を受領(ずりょう)する。54で家督を二代目吉右衛門に譲り、隠居後は入道し『松島瑞巌寺中興雲居禅師』より諱『用恵』、字『仁澤』 を授かる。
本郷国包家は保昌五郎貞宗の末流といわれているが、十一代三之助は「九曜紋給わりたる事なく又保昌五郎が末ならず」といって否定しているそうだ。
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